プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
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2013年01月07日

追悼…叔父さんへ

昨日、和田の叔父が亡くなった。二日前、病院で懸命に生きるたたかいをしている姿を見たのが最期だった。

亡きおふくろの末の妹の夫…にあたる叔父は、数少ない小さい頃の写真によく出てくる。大抵は叔父家族の中に僕が入っている。家の前で、駅のホームで、明石の海岸で(写真)…父親がいない僕を家族同様に可愛がってくれた。

大きくなって生意気になっても、二転三転大きく身の上が変わっても、説教じみたことは何一つ言わずじっと見守ってくれた。話といえばいつも日常のできごとをやや毒舌っぽく…それを聞く度、自然に笑えてホッとできた。

底抜けに気がよく飾り気がなくて、本当に天然におもしろい叔父だった。
強烈に残っている思い出が…。

子どもの頃、初めて連れて行ってくれた甲子園球場。高校野球で市和商の応援。エース野上が相手打者に死球を。うずくまる打者に向かって外野席から「どたいそなことぬかすな!」と。あのとき思わず親戚でないようなふりをしてごめんなさい。でもその言葉が強く残っていて今も大層らしく振る舞う人に向かって、心の中で「どたいそなことぬかすな!」と叫んでいる自分がいる。

高校を出て奈良に引っ越して住んだ家にわざわざ和歌山から使わなくなったバスユニットを車で運んでくれた。さらに取り付けまで。18才にして初めて家で風呂に入ることができた。感慨深かった。叔父のおかげたった。

大和の伯母が亡くなった時、幾度となく来てくれて、身よりのない伯母のために葬儀まで取り仕切ってくれた。借家を明け渡すために叔父と二人で家財道具の始末をした。軽トラに荷物を積み込み何度も清掃センターに往復した。大人として叔父と一緒にやった最初で最後の共同作業だった。畑の道端に座って昼飯を食べたことはいつまでも忘れない。

いろいろ心配をかけたけど僕ももうそろそろ落ち着いて精一杯生きていきます。叔父さんのようにはできないけど、できるだけ人のために尽くして生きていきます。

どうか安らかにお休みください。

和田守隆―享年…?歳(お通夜で確認します)

こ冥福をお祈りします。

  

Posted by 沙門宏幸 at 07:33Comments(0)