プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
沙門宏幸へメール


和歌山の情報発信
ブログポータル

ログインはTOPページで
私も作ってみる




[PR]ワインをお求めなら、
うきうきワインの玉手箱
[PR]ちらし印刷選挙用品
[PR]和歌山ネットチラシ
[PR] 和歌山情報ブログでチェックイコラブログ
[PR] 商品ページ1ページからリニューアル!!楽天ヤフーOK!現在キャンペーン


ik_06 沙門宏幸の動画ギャラリー ik_06 沙門宏幸のインターネット・テレビ番組
ik_06

2015年08月28日

追悼

大阪十三・スタジオSDのマスターの訃報を聞いた。

カラオケ愛好家、とりわけ大会出場者の多くはカラオケ録音などでお世話になったことだろう。私も約10年間、月に一・二度歌の録音のために十三に通った。作ってもらったカラオケテープも100本を越えた。

プロ・アマ問わず、ハイレベルな音響技術でその名を知られていた。頑固なまでの徹底したプロ意識。妥協を許さない音創りへのこだわり。仕事中は近寄り難かったが、時折手招きして呼んではいろんな機器の説明をしてくれた。「すごいですね。」と答えはしたが、ほとんど分からなかった。

リクエストカードに名前を書かないで出すお客さんがいると「続いて名無しの権兵衛さん。どうぞ」とチクリ。「ここでコマーシャルです。当店のキーコンは百分の一刻みで…」などと突然の機械自慢。面白い人だった。

お客さんがいない時、お話をする機会が何度かあった。聞けば何と同じ大学の先輩で、かつてはプロのドラマーだったそうだ。そんなこともあってか私が店を始める時、税金対策まで親切に教えてくれた。

ご無沙汰して7年になろうか。突然の訃報にかなりのショックを受けた。知らせてくれた人の話によれば10日ほど前に店に行った時、「ふらつく」と言ってそうだ。

一つの時代が終わったような気がする。淋しくもあり悲しくもある。

ご冥福をお祈りします。  

Posted by 沙門宏幸 at 22:43Comments(0)

2015年08月27日

宮本由紀さん来店❗

明石市朝霧東町、歌謡ステージ「きらゆき」のオーナー・宮本由紀さんが「みえこ」を訪ねてくださった。

宮本さんは歌謡教室の先生であり、ピアノの先生であり、作詞・作曲もされるマルチな才人。

私が歌を始めたおよそ20年前、すでに数多の歌謡コンテストで名が知られていた。初めてお目にかかったのも明石での大会だったと記憶している。

それだけの力を持ちながら高慢さや気負いを全く感じさせないのがいい。フラットな話ができるし、時おり出る神戸言葉にも親しみを感じる。

生憎、お客さんの出足の悪い中、何曲も何曲も歌ってくれた。ありがとうございました。  

Posted by 沙門宏幸 at 16:19Comments(0)

2015年08月11日

〈訂正と追記〉

前稿「きらゆき」さんの文中、訪問日「7月4日」は「8月4日」の誤りでした。

歌謡ステージ「きらゆき」
明石市朝霧東町3丁目5-28 078-912-1358 月曜日定休(祝祭日は営業)  

Posted by 沙門宏幸 at 10:27Comments(0)

2015年08月11日

「きらゆき」さん

7月4日、やっと、本当にやっとお訪ねできた。明石市の歌謡ステージ「きらゆき」さん。

新規開店のお知らせをいただいてから2年余り。“行きたい、行きたい”と思いながら幾度かのチャンスを逃してしまって…。

気がつけば、恥ずかしくてお祝いの言葉も憚られるほど遅れてしまった。

もとは喫茶店だったというアンティークで落ち着いた感じの店内。女性客が一生懸命歌っていた。テーブルには楽譜。お客さんのそしてお店の歌に対する真面目な姿勢が伝わってくる。

オーナーは宮本由紀さん。私が歌を始めた20年ほど前、すでにハイアマチュアとして有名な方だった。大会でもよくお目にかかった。初めてお店をお訪ねしてもう十数年になる。歌の上手さはもちろん、うち解けると神戸の地元言葉で話されるのが印象的だ。矜持を内に秘めながらも偉ぶらない人柄に好感を覚える。

お店の休憩時間に近況などしばし歓談。旧交を温めることができた。よかった!!   

Posted by 沙門宏幸 at 10:02Comments(0)

2015年08月06日

昭和歌謡史第5回

8/1(土)、新曲研究会&昭和歌謡史を語り歌う。県立図書館にて。

今回は1966(昭和41)年の“ビートルズの来日とその後の歌謡界への影響”がテーマ。

にわか仕込みでビートルズナンバーを2曲(「抱きしめたい」「イエスタデイ」) 歌った。概ね不評。(とくに岩橋氏には…。氏は日本武道館のビートルズ公演を生で見聞した約50,000人の一人)

ビートルズの影響は音楽的にはGSブーム、和製ポップス、フォークソングの隆盛へとつながっていく。私の中学・高校時代だ。

岩橋氏いわく「ビートルズと日本のGSの決定的な違いはオリジナルを自ら創るか否か。作詞・作曲をしてもらって歌うGSはただの歌謡曲。ビートルズのマネにすぎない」と。なるほど、さすが歴史の生き証人だ。

今回も大変勉強になりました。  

Posted by 沙門宏幸 at 17:11Comments(0)

2015年08月06日

我が身を恥じて…

7月末のある日、昼下がりのこと。

いつものコンビニで、いつものようにコピーをしていた時。

となりの雑誌コーナーの前に立って何やら微笑みながらチラッチラッとこちらを見ている人がいた。歳の頃なら二十歳前後。

“コピーを待っているのか?”…手ぶらだからそうでもなさそう。

「?!」という感じで見返すとやはり微笑みながら、でも少し戸惑った様子で立ち去った。

怪訝な面持ちでコピーを続けていると今度は何か言いたげな様子でまた戻ってきた。

「何か?」と顔を近づけると
「隼平くんのお父さんですね。〇〇〇〇です。」と挨拶をしてくれた。隼ちゃんを知ってる人だとわかった瞬間、ホッとして「どこかで隼平くんと一緒なの?」と尋ねたら「ピュアで一緒です。」と答えが返ってきた。

すべて飲み込めた。隼平くんと同じピュア皆楽園を利用している人で僕の顔に見覚えがあるから挨拶してくれたのだ。

週に一度くらい隼平くんの着替えを届けにいくことがある。申し訳ないが僕はその人を覚えていなかった。無論言葉を交わしたこともない。

でも覚えてくれていたのだ。そればかりか見覚えがあるというだけでわざわざ挨拶までしてくれたのだ。

僕は自分が恥ずかしくなった。きっと余裕のない難しい顔をしていたのだろう。眉間に皺だったかもしれない。もしかすると睨んでいたかも…。何の屈託もなく挨拶してくれたのに。あぁ、恥ずかしい。

自分に問い直した。「立場が逆だったらあんなふうに挨拶できたか?」…おそらくできなかっただろう。偉そうな事を言い、偉そうな顔をしてるくせにそんなこともできないのだ。

その人が店を出て行くのを見て後を追った。車の運転席に乗ろうとしているお父さんらしき人に近づき、「ピュアでお世話になっている隼平の家族です。息子さん、挨拶してくれました。僕の方がお顔を覚えていなくて失礼しました。」

はじめ怪訝そうな表情をされていたお父さんの顔がほころんだ。後部座席に座っていた彼にもう一度「ありがとう」と言って別れた。

蒸せるような暑さの昼下がりだったが、心の中に涼風が吹き込んだ。  

Posted by 沙門宏幸 at 16:33Comments(0)

2015年08月01日

“あがりゃんせ”行き

7/30、雄琴温泉の「あがりゃんせ」へ。

発表会を終えたばかりの髙田ご夫妻と。今回で三度目。のんびりと過ごせるのがいい。お湯もまったりと柔らかい感じ。

途中、道の駅「びわ湖大橋米プラザ」から琵琶湖大橋を望む。   

Posted by 沙門宏幸 at 18:22Comments(0)