プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
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2015年10月13日

吉永みきおさん、ご来店❗

10/10(土)夜の部に「雪哭き津軽」の歌手・吉永みきお(幹夫)さんが来店。お客様の森谷さんの誘いで(感謝)。


吉永さんは奈良に住んでいたころのお知り合いで歌のキャリアは先輩。時々カラオケスタジオや大会で顔を合わせてきた。もうかれこれ10年ぶりになろうか。

忘れられない思い出がある。2001年の関西演歌大賞予選。会場は確か心斎橋パルコだった。

僕は初出場。選んだ課題曲は氷川きよし「大井追っかけ音次郎」。同曲の出場者は6~7人。その中に吉永さんもいた。

ワンコーラスずつ歌った後、客席前列に陣取った10人ほどの審査員が、一番いいと思った人のエントリー番号の札を舞台に向けてあげる。一番多い人が予選通過ということになる。ただこの段階の審査員はどなたなのかさっぱりわからない。紹介もない。もしかしたらレコード屋さんの協会の役員さん?…まあそんな雰囲気の方たちだった。

全員歌い終わっていよいよ審査結果。審査員の札があがる。僕は2票ほどもらえたが吉永さんは4~5票、ダントツだった。

「やっぱりなあ。さすが」と納得していた矢先、司会者から「札を下ろしてください。もう一度やり直します」のコール。少し空白があってもう一度審査員が上げた札の番号の数が変わっていた。一番多かったはずの吉永さんが次点になっていたのだ。

「エエッ!」と思ったつぎの瞬間、むくむくと怒りがこみ上げてきた。「やりやがったな…!」客席に札の番号が見えないのをいいことに何らかの意図を持った審査結果に変わったのだ。

終了後、トイレで顔を合わせた吉永さんに「吉永さん(が一番)でしたよね」と声をかけた。

吉永さんは何も答えず微笑を返した。いつも冷静で穏やかな人(あくまで僕の印象だが…)だった。

少なくとも、腹が立って腹が立ってエントリー料4000円と引き換えの参加賞の楯を心斎橋駅のゴミ箱に投げ捨てて帰った僕とは対照的だろう。この大会にはその後一度も出なかった。吉永さんはどうか知らないが。


そんな吉永さんが10/10の夜は珍しく熱っぽく話していた。

「'『雪哭き津軽』いい歌でしょう。清水まり子知ってる?今度清水まり子かまカバーで歌うことになったんだ」

数ある津軽もののなかでもとてもいい歌だと思う。(清水まり子が歌おうと歌うまいと)だから「知らん間に清水まり子っていう歌手も歌ってたよ」と言ってやればいい。

吉永さん!頑張ってくださいね‼  

Posted by 沙門宏幸 at 11:13Comments(1)