プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
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2016年07月15日

「真田丸」を歩く

昨年来、趣味の史跡歩きで撮った写真。大河ドラマで話題の「真田丸」ゆかりの場所。

まず和歌山・九度山町の善名称院、通称「真田庵」。真言宗の寺院で関ケ原合戦で西軍について敗れた真田昌幸・信繁(幸村)父子が謹慎生活を送ったと言われる。自宅・紀の川市から車で約40分。

つに大阪冬の陣・夏の陣の激戦スポット茶臼山。冬は徳川家康が、夏は真田信繁が陣を構えた。現在は大阪市民の憩いの場で散策やスケッチ、写真撮影などを楽しむ人たちの姿が…。JR天王寺駅から徒歩7分。

三枚目は真田丸顕彰の碑。真田丸は大阪冬の陣の際、豊臣方首脳の多くが籠城戦を主張する中、最後まで迎撃戦を唱えた真田信繁が、大阪城最大の弱点と言われていた南方すの地点に砦を築き、家康軍を迎え撃った場所。結果、家康の大軍に打撃を与え、和議に漕ぎ着けた。しかし、家康は講和の条件に大阪城の外堀を埋めることを要求し、その際、真田丸も取り壊されてしまった。現在の大阪明星学園グランド付近がその場所にあたるという。JR環状線玉造駅から徒歩約15分。

最後は真田信繁終焉の地、安居神社。茶臼山の北西、徒歩約5分くらいの場所にある。大阪夏の陣、茶臼山で敵軍の攻撃を食い止め奮戦した真田軍も徐々に退却を余儀なくされた。安居神社境内の松の下で休息していた信繁は敵軍に発見され討ち取られたという。“天下一の武士(もののふ)”と讃えられた真田信繁の最期であった。

足かけ2年、4回にわたる史跡散策をダイジェストでお送りしました。  

Posted by 沙門宏幸 at 08:47Comments(0)