プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
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2015年05月07日

第2回昭和歌謡史

5/2(土)和歌山県立図書館にて。

今回は戦前戦中編。

テーマ①映画と流行歌。昭和の流行歌は映画とタイアップして世に広まった。始まりは『東京行進曲』(佐藤千夜子)。まだサイレント映画の時代。楽団とナマ歌による主題歌が映画館で聞けた何とも贅沢な時代だ。トーキー映画の時代(昭和10年頃から)に入って一世風靡した初のビッグヒットは『旅の夜風』(霧島昇&ミス・コロムビア)。映画『愛染かつら』の主題歌である。
映画・流行歌ともに相乗効果大。歌を流行させる上で映画は不可欠となり、映画に主題歌はつきものとなった。

レコード会社としてはいかなる方法を駆使しても売りたいというところか。

テーマ②戦時歌謡。軍隊が兵士を鼓舞するために作ったのが軍歌。軍部政府の意向を受けたレコード会社が国民へのプロパガンダ(PR)を目的として作ったのが軍国歌謡。軍国歌謡に戦時下発売された一般の歌謡曲を加えたものが戦時歌謡。したがって戦時下の流行歌=戦時歌謡と言っても差し支えないだろう。

レコード会社は軍部の意向にも迎合し、片や国民の心情をも巧みにつかみ作品化する。歌を流行させる=売ることを目的とするのであれば当然と言えよう。“売れるは善”ということか。

『麦と兵隊』『暁に祈る』『同期の桜』…軍国歌謡の名曲に共通する哀調が心の襞にしみる。勇ましい軍歌はほとんど心に残らないが…。

戦時下、戦地の兵士たちの間で広く愛唱された歌の一つ『別れのブルース』。「戦争は哀しいもの。だからいくら勇ましい歌を押しつけても心に響かない」と歌い手の淡谷のり子さんは言う。黒人奴隷の哀しみ、その魂の叫びから生まれたブルースだからこそ、戦地で戦う兵士たちの心に沁みたのであろう。

軍国歌謡忌み嫌うべからず。悲惨な戦争、未曾有の敗戦を経験した日本が生み出した音楽文化として忘れず歌い継ぐべきであると思う。

おかげさまで今回もたくさんの事を勉強させていただきました。このような機会を与えてくださった方、ご多忙な中、拙い話と歌をお聞きくださった方々、本当に感謝です。ありがとうございました!

Posted by 沙門宏幸 at 18:35│Comments(1)
この記事へのコメント
やっと視れました^ ^

演歌商店さんに問い合わせをして(*^^*)教えてもらいました ^^;

演歌商店さんのホームページにアクセスしていただきまして…

www.musicmart.co.jp…右下の「イベント会場から生配信」をクリック❗️でした。

前回と変わったみたいです。
Posted by K子 at 2015年05月08日 12:39
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