プロフィール
沙門宏幸
沙門宏幸
歌の伝道師でありたい・・・。そんな願いを胸に、一節一句、全魂込めて歌います・・・。芸名・沙門は“求道者”の意。歌の道は自分磨きの人間道です。そんな私は・・・
1954年生まれ、和歌山市は狐島出身。本名:萩野(旧姓奥村)博之。野崎小・河北中・星林高校を卒業。本名の私をご存知の方は、アレ!と思うでしょう。高校卒業後すぐに奈良に転居。関西大学卒業後、30年間、奈良で公立小・中学校の教壇に立っていました。専門は社会科。40歳を過ぎてから歌を学び始め、2008年に早期退職。歌を生業として新たなスタートをしました。目下、歌手・歌謡講師・カラオケスタジオ経営者として活動中。故郷・和歌山の皆様、長らくご無沙汰いたしましたが、奈良県香芝市から紀の川市に移りました。どうぞよろしくお願いします。
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2013年05月23日

天野の里ある記(6)

里の入り口からメインスポットに向かう途中、南に200mほど入ると「亀田大隅守の碑」がある。全く無関係だがボクサー3兄弟を連想して立ち寄ってみた。

あいにく碑のある建物が老朽化したとかで修復中。年配の大工さんが一人で作業していた。

「あんたこんなんに興味あんねんなあ」と不思議そうに話しかけてくれた。

「いつ頃できるんですか?」と聞くと、「さあ、一人でやってるんでなあ…」と。あまりきっちりとした計画はなさそうだった。

「亀田さんってどんな人ですか?」と聞くと「さあよ」と言って見せてくれたのが写真の立て札。それによると…

亀田大隅守は戦国時代の武将で賤ヶ岳・関ヶ原・大阪冬・夏の陣で武功をあげ、後に紀州浅野家に仕えたという。浅野家の広島転封後は家老職を務めたが、政争に巻き込まれ浪人となり晩年天野の里で暮らしたという。

そういうケースがよくあったようだな、この里には…。惹きつける魅力があるんだろうな。


Posted by 沙門宏幸 at 17:11│Comments(0)
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