2018年11月11日
2018年11月11日
11月11日の記事
デュオ…。いつの頃からか一郎さんと始めたデュオ。男同士が共に歌を楽しんでいるのに、これをやらない手はない…。元来、デュオはおろかデュエットもほとんどやらない自分が、不思議にやってみたくなった。やはり土曜日夜の集いが楽しかったのだ。
「浪漫」「野郎たちの挽歌」「蒼い国境」「夏の終わりのラプソディー」「サライ」「ハートブレイク・ダンディー」…結構いろいろやった。ミニ発表会や「歌の宝石箱」を目標に練習したものだ。仕事にかまけてなかなか覚えられず、お待たせしたことも随分あった。
でも楽しかった‼文句なしに心が弾んだ。デュオを楽しむきっかけは一郎さんが作ってくれた。
「浪漫」「野郎たちの挽歌」「蒼い国境」「夏の終わりのラプソディー」「サライ」「ハートブレイク・ダンディー」…結構いろいろやった。ミニ発表会や「歌の宝石箱」を目標に練習したものだ。仕事にかまけてなかなか覚えられず、お待たせしたことも随分あった。
でも楽しかった‼文句なしに心が弾んだ。デュオを楽しむきっかけは一郎さんが作ってくれた。
Posted by 沙門宏幸 at
15:56
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2018年11月08日
一郎さん追悼③
歌の盟友…。2011年年初から一郎さんは奥さん(sakuraさん=和子さん)と一緒に遠路紀の川まで来店してくれた。いつの間にか土曜日の夜が定着して、その日は僕も仕事は二の次にして一緒に歌を楽しんだ。いろいろな歌を歌ってご紹介すると、ご夫婦ともまるで砂が水を吸うように次々と覚えていかれた。それをsakura さんがリストアップ。わずか数年のうちに1000曲を超えたとお聞きして舌をまいた。僕も自分のレパートリー帳を作ってもらったようでありがたかった。
一郎さんはとくに英語(外国語)の歌がとても上手かった。本格的なものじゃないと謙遜されていたが、本格的なように聞かせるのはたやすいものではない。僕がとくに感心したのは「ローハイド」。ムチの音まで入って度にいっていた。比類ない才能だと思った。もう一度聞きたいなあ…。
一郎さんご夫婦にやがて橋さんとTAKIさんが加わり、僕と美恵子も入れて6人。たとえ他にお客さんがなくても、土曜日の夜は心の底から盛り上がれた。
それまで歌友を持たず、ほとんど一人で行動していた自分にとって初めての体験だった。“歌の盟友”…自分の中ではこの言葉が一番ピッタリする。
TAKI さんが亡くなったとき、みんなで弔問に行ったことを思い出すと、一層胸がしめつけられる。
一郎さんはとくに英語(外国語)の歌がとても上手かった。本格的なものじゃないと謙遜されていたが、本格的なように聞かせるのはたやすいものではない。僕がとくに感心したのは「ローハイド」。ムチの音まで入って度にいっていた。比類ない才能だと思った。もう一度聞きたいなあ…。
一郎さんご夫婦にやがて橋さんとTAKIさんが加わり、僕と美恵子も入れて6人。たとえ他にお客さんがなくても、土曜日の夜は心の底から盛り上がれた。
それまで歌友を持たず、ほとんど一人で行動していた自分にとって初めての体験だった。“歌の盟友”…自分の中ではこの言葉が一番ピッタリする。
TAKI さんが亡くなったとき、みんなで弔問に行ったことを思い出すと、一層胸がしめつけられる。
Posted by 沙門宏幸 at
09:40
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2018年11月06日
一郎さん追悼②
再会…。一身上の理由で奈良(香芝)から紀の川に移ったのが2010年9月。カラオケスタジオ「みえこ」で再出発したものの36年ぶりの和歌山で浦島太郎状態。そんな中、半年ほどして“ひょっこり”訪ねてくれたのが一郎さんでした。懐かしさ、安心感、なにかしら幼なじみに出会ったようで、本当に嬉しかった。あの日、奈良でニッコリ笑ってくれた、あの笑顔にまた出会えた喜びは忘れられません。
Posted by 沙門宏幸 at
17:20
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2018年11月04日
一郎さん追悼①
出会い…。奈良で歌の仕事を始めて2年目の2009年。その頃店で始めたナツメロの会によく来てくれました。控え目な方でしたが、歌は人一倍お好きなようで、曲もよく知ってました。
2010年、店主催で発表会をやることになって、お誘いしたところ、ご都合がわるかったようでした。それを誰かが「えーっ、出ないの?‼」となじるように言ったので気まずい雰囲気になりました。
一郎さんの帰り際、僕は後を追いかけて、「発表会に出る出ないは全く自由です。出なければいけない理由など何一つありません。これからも気兼ねなく歌いに来てください」と言いました。一郎さんはニッコリと笑顔を返してくれました。それが一郎さんと話をした初めでした。
2010年、店主催で発表会をやることになって、お誘いしたところ、ご都合がわるかったようでした。それを誰かが「えーっ、出ないの?‼」となじるように言ったので気まずい雰囲気になりました。
一郎さんの帰り際、僕は後を追いかけて、「発表会に出る出ないは全く自由です。出なければいけない理由など何一つありません。これからも気兼ねなく歌いに来てください」と言いました。一郎さんはニッコリと笑顔を返してくれました。それが一郎さんと話をした初めでした。
Posted by 沙門宏幸 at
10:22
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2018年11月03日
訃報…悲報
歌の盟友、奈良の一郎さん(本名・玉井史郎さん)が10月30日にお亡くなりになった。
10年前、私が歌の仕事に道についてからのお付き合いだった。何年間も週に一度、奈良から紀の川のスタジオまでご夫婦で通ってくれた。店のオーナーとお客さまという関係を遥かに超えて、心ゆくまで共に歌を楽しんだ。「夏の終わりのシンフォニー」「サライ」など数々のデュオも共にし、発表会でも歌った。昨日のことのように思い出す。本当に楽しかった。この仕事をしてよかったと心の底から思わせてくれた。
ここ数年、病と闘いながら、それでも歌を愛する気持ちと行動は最後まで貫かれた。
「沙門さんの店が一番楽しかった。老後の青春だった」…そんな言葉を遺してくださったそうだ。
お疲れさまでした。安らかにおやすみください。心から、心の奥底から、ご冥福をお祈りします。
10年前、私が歌の仕事に道についてからのお付き合いだった。何年間も週に一度、奈良から紀の川のスタジオまでご夫婦で通ってくれた。店のオーナーとお客さまという関係を遥かに超えて、心ゆくまで共に歌を楽しんだ。「夏の終わりのシンフォニー」「サライ」など数々のデュオも共にし、発表会でも歌った。昨日のことのように思い出す。本当に楽しかった。この仕事をしてよかったと心の底から思わせてくれた。
ここ数年、病と闘いながら、それでも歌を愛する気持ちと行動は最後まで貫かれた。
「沙門さんの店が一番楽しかった。老後の青春だった」…そんな言葉を遺してくださったそうだ。
お疲れさまでした。安らかにおやすみください。心から、心の奥底から、ご冥福をお祈りします。
Posted by 沙門宏幸 at
10:04
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